科学的根拠(エビデンス)に基づく教育・子育て本をどう活用するか?

科学的根拠(エビデンス)に基づいて育児・子育てや教育を論じる本が最近の流行のように思えます(全部読破したわけではありませんが、例えば、当ブログで何度も言及した『「学力」の経済学』や、以下で引用する『「家族の幸せ」の経済学』、『東大医学部卒ママ医師が伝える科学的に正しい子育て』など)。単なる一個人の経験より客観性があり、有益だと思います。

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それらには、統計的な研究に基づいて、「全体を見ると、こういう傾向がある」のようなことや、「子どもに対してAという行為を行うと良い場合が70%。良くない場合が30%」のようなことを述べている箇所もあるように感じます。

繰り返しますが、そうした本は有益だと個人的に思います。ですが、個々の親にも、子どもにも、当然、性格や個性があります。親の年収や学歴、家族の状況(子育てに協力してくれる祖父母が近くにいるか、など)が家庭によって異なるのももちろんのことです。

「ほかならぬ自分が、ほかならぬわが子に、どう接すればうまくいくか?」「ほかならぬわが子は、全体の傾向の、どれに当てはまるか?」という問いに直面した場合、どうすればよいでしょうか。

個別の状況にもっと肉薄する研究、例えば、「親の性格がこういうタイプで、かつ、経済状況が平均的な場合、こういうタイプの子どもには、このように接するとうまくいく」くらいまで明らかにした研究があれば良いかもしれませんが、学術研究がまだそこまで進展していない場合も多いと予想します。

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関連する記述を本の中に見つけることができます(やはり繰り返しになってしまいますが、データに基づいて育児・子育てや教育を論じる本は、有益だと思います。本エントリーの趣旨は、それらを否定することではありません)。

『「家族の幸せ」の経済学:データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』(山口慎太郎.光文社,2019年)は次のとおり述べています。

気をつけなければならないのは、お母さんの学歴によって、子どもにとっての家庭環境が直ちに決まるというものではない点です。[中略]あくまで傾向であり、すべての人に当てはまるものではありません。(Kindle版,位置No. 2151)

科学的根拠だけで、私たちがどう生きるべきかを決められるわけではありません。
たとえば、母乳育児には子どもの健康にとってさまざまなメリットがあることが明らかにされたわけですが、一方で、少なからず手間もかかるわけですし、そのほかにもそれぞれの事情によって、母乳育児を行わないという選択も「家族の幸せ」に繋がりえるのです。
[中略]
科学的研究は、私たちがよりよい選択をする上での助けにはなりますが、「何が自分にとっての幸せなのか」までは教えてくれません。(同,位置No. 2756)

『東大医学部卒ママ医師が伝える科学的に正しい子育て』(森田麻里子.光文社,2020年)も次のとおり述べています。

子どもたちは誰ひとりとして同じではなく、それぞれ違った個性や性質を持って生まれてきています。ですから、「科学的に正しい」とはいっても、全員に当てはまる一つの「正解」があると言いたいわけではありません。同じ研究結果を見ても、その解釈は人によって、家庭によって、真逆になることだってあります。九九パーセントの人に効果があることであっても、裏を返せば一〇〇人のうち一人にとっては効果がないと言うこともできます。
[中略]
それぞれのご家庭でどのようにしていくのか、考える材料にしていただけたらと思います。(Kindle版,位置No. 61)

統計的な研究に基づいて、「全体を見ると、こういう傾向がある」のようなことや、「子どもに対してAという行為を行うと良い場合が70%。良くない場合が30%」のようなことが本に書いてある場合、「ほかならぬわが子は、全体の傾向に当てはまるか?」や、「わが家の場合は、70%と30%の、どちらに入るか?」は、わが子の個性・特性や、状況を総合的に判断して決断する。もし、まったく判断が付かない場合は、統計的に確率の高い方を選ぶ、というのが基本的な考え方になるでしょうか(本を読んだうえでの個人的な感想です)。

まったく判断が付かない場合も往々にしてあるでしょうから、シンプルに「統計的に確率の高い方を選ぶ」ことが役に立つ場合も多そうです。なので、科学的根拠(エビデンス)に基づく教育・子育て本を手元に置いておいて損はないように思います。

「まったく判断が付かない場合」とは逆のようですが、育児・子育て、その他子どもの教育については、「数学や物理学のことは、何が何だか分からない。でも、教育については、親である自分の体験や持論で乗り切れるだろう」のように考えてしまいがちなようにも思います。しかし、体験や持論は、ときに偏ったものであるかもしれません。親の体験や持論にこだわらなければ、子どもはより伸びる、かもしれません。わが子の個性・特性や、状況を総合的に考慮しつつ、科学的な知見を謙虚に取り入れる方が有益な場合もありそうです。

『東大医学部卒ママ医師が伝える科学的に正しい子育て』(森田麻里子.光文社,2020年)も次のとおり述べています。

科学的な根拠があっても、目の前の子どもやママ・パパにとってそれがよいのかどうかは、結局のところわかりません。それでも、科学的な根拠があるということは比較的多くの人にとってメリットとなる可能性が高いわけですから、他のどんな情報源よりも 偏りが少なく、有用な情報であると言えるのではないでしょうか。(Kindle版,位置No. 3462)

 

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いい先生とは?教員免許制度は撤廃すべき?

ベストセラーになった『「学力」の経済学』(中室牧子.ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015年)は、「〝いい先生〞とはどんな先生なのか? 日本の教育に欠けている教員の「質」という概念」という章を設け、次のように論じています(Kindle版,位置No. 1399-1606)。

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※「偏差値で輪切りにすることは悪か?」や「就学前教育(幼児教育)はコスパ最強?&いつ子どもをつくるべきか?」にも同じことを書きましたが、以下、本エントリーを書くために必要な箇所だけを参照したり、引用したりしています。同書は名著ですので、関心のある方は全体をぜひ通読ください。

子どもの学力には家庭の資源が大きく影響していて(「図5 教育生産関数とは」(Kindle版,位置No. 311)では、家庭の資源の例として、親の年収や学歴、家族構成、塾や習い事への支出、家庭学習の習慣を挙げている)、学校にできることは少ないかもしれない。

しかし、学校が、子どもの家庭環境の不利を挽回する力を持たないわけではない。特に要となるのは教員である。教育経済学におけるあまたの実証研究でもそのことは明らかになっている。能力の高い教員は、子どもの遺伝や家庭の資源の不利すらも帳消しにしてしまうほどの影響力を持つと結論付けた研究もある。

全米の大都市圏の学校に通う100万人もの小中学生のデータと納税者記録の過去20年分のデータを用いた研究によると、教員の質を計測する指標として、付加価値(この場合の付加価値とは、担当した子どもの成績の変化。例えば、生徒Aが小学4年生のときに標準テストで35点だったのが、5年生のときには55点になっていたという場合、この間のテストスコアの上昇分)が有用であることが明らかになった。さらに、質の高い教員は、単に子どもの学力を上昇させているにとどまらず、10代で望まない妊娠をする確率を下げ、大学進学率を高め、将来の収入も高めていることも明らかになった。

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以上の趣旨のことを『「学力」の経済学』は述べています(「ある子どもを、[中略]過去のその子自身と比較して昨日より今日、今日より明日と伸ばしてやれる先生こそが、「いい先生」」であるとも述べています(Kindle版,位置No. 1458))。

上記は、なかなか興味深いと思います。上の論に従うと、いわゆる怖い先生だろうと、面白い先生だろうと、イケメン・美人の先生だろうと、子どもの成績を上げる先生がよい先生だ、ということになります。いかにも頼りなさそうな先生がいたとしても、子どもがかえって「自分自身で頑張らねば」のように感じて?その先生の下で成績が向上した場合、その先生はよい先生だ、となるかもしれません(あくまで上の論に従うと、という前提ですが、おそらくそうなると思います)。

では、いったいどうすれば教員の質を高めることができるのでしょうか。『「学力」の経済学』は、「教員の給与やボーナスを成果主義にする」、「教員研修」、「そもそも能力の高い人を教員として採用する」という手段について、教育経済学の知見を紹介し、「そもそも能力の高い人を教員として採用する」を推奨しています。そのための方法として、

経済学者に聞けば真っ先に提案されるであろうシンプルな方法は、教員になるための参入障壁をなるべく低くする、つまり教員免許制度をなくしてしまう

ことを挙げています(Kindle版,位置No. 1538)。「免許という参入障壁が、能力の高い人が教員になったり、あるいは他の職業で活躍してきた人が教員に転職したりするのを妨げている可能性がある」とも述べています(Kindle版,位置No. 1540)。

こういわれると、「教員免許をなくしたりしたらかえって教員の質が下がってしまう。教員免許があるからこそ、質が保たれているのでは」と反論したくなるかもしれません。そうした反論に対して、同書では、複数の学術研究の成果をもとに、教員免許の有無による教員の質の差はかなり小さい、教員免許は必ずしも教員の質を担保できているわけではない、と指摘しています(※)。

なるほど、教員免許制度を撤廃すれば、子どもの成績を上げる能力が高い人が集まってくるかもしれません。もしそうだとすれば、この点はメリットです。でも、教員免許制度を撤廃した結果、例えばハラスメントなど、不祥事を起こしがちな「悪い先生」(本エントリーでは、子どもの成績を上げる先生がよい先生だ、という線で書いているので、この「悪い先生」は、意味合いが別の悪さを備えた先生)が集まりがちになるのでは?つまり、教員免許制度の撤廃にはデメリットや「副作用」もあるのでは?という気もします。『「学力」の経済学』的に考えると、きっと、副作用があるかどうかも、主義主張や個人の経験で語るのではなく、ランダム化比較試験などの手法に基づく研究によって得られる、客観的な数字に基づいて検討するべきだ、となるのだと思います。

※念のため:上は、教員免許についての議論です。すべての「免許」に当てはめようとする話ではありません。例えば運転免許については、まったく別の議論になると思います。

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就学前教育(幼児教育)はコスパ最強?&いつ子どもをつくるべきか?

2018(平成30)年の人口動態調査によれば、父母が結婚生活に入ってから第1子出生までの期間は、2年未満までに54.4%に上り、8年未満までに96.3%に上るなどとなっています。平均期間は2.44年です(表4.22)。1990年は、2年未満ですでに75%に上り、5年未満で95%を超えていました。平均期間は1.66年でした(同)。時代とともに変化しています。

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さて、ベストセラーになった『「学力」の経済学』(中室牧子.ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015年)は、「教育にはいつ投資すべきか」というセクション(Kindle版,位置No. 722-772)と、「幼児教育の重要性」というセクション(同,位置No. 773-820)で、教育経済学の知見を次のとおり紹介しています(「偏差値で輪切りにすることは悪か?」にも同じことを書きましたが、以下、本エントリーを書くために必要な箇所だけを参照したり、引用したりしています。同書は名著ですので、関心のある方は全体をぜひ通読ください)。

子どもの教育に時間やお金をかけるとしたらいつがいいのか」(1年追加的に教育を受けたことによって、子どもの将来の収入がどれくらい高くなるかを数字で表したものを教育の収益率と呼ぶが、どの教育段階の収益率がもっとも高いのか)という問いに対しては、ほとんどの経済学者が一致した見解を述べると思われる。すなわち、最も収益率が高いのは、子どもが小学校に入学する前の就学前教育(幼児教育)である。

ただし、就学前教育(幼児教育)とは、勉強だけではない。しつけなどの人格形成や、体力や健康などへの支出もそこに含まれる(したがって、教育と限定するよりも、人的資本への投資と呼ぶべきものである)。

シカゴ大学のヘックマン教授らの研究業績が、次のことを明らかにしている。すなわち、1960年代から開始された「ペリー幼稚園プログラム」では、低所得のアフリカ系米国人の3~4歳の子どもたちに、非常に手厚い就学前教育が提供された。ランダムに選ばれた、入園を許可された子ども(処置群)と、入園を許可されなかった子ども(対象群)の比較によって、効果が測定された。約40年にわたる追跡調査の結果、処置群の子どもたちは、小学校入学時点のIQが高かっただけでなく、その後の人生において、学歴が高く、雇用や経済的な環境が安定しており、反社会的な行為に及ぶ確率も低かった。

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以上の趣旨のことを述べ、就学前教育(幼児教育)の重要性を『「学力」の経済学』は強調しています。上の「ただし・・・」の段落は、「ゲームは1日何時間まで?勉強やゲームに青春をかけたら駄目か?両立は可能か?」で紹介した、非認知能力を連想させます。

本エントリーが注目したいのは、次の点です。すなわち、就学前教育(幼児教育)の重要性を『「学力」の経済学』は上のように指摘していますが、その中で、「図15 人的資本投資の収益率(概念図)」というものを紹介しています(Kindle版,位置No. 763)。人的資本投資の収益率が高い順に「0~3歳」、「4~5歳」、「学校」、「学校を卒業した後」となっており、就学前教育(幼児教育)が大切であることを説明しています。

その図をよく見ると、人的資本投資の収益率が最も高いのは「生まれる前」であり、「0~3歳」を上回っています。「生まれる前の人的資本への投資は、母親の健康や栄養などに対しての支出を指す」と注に書いてあります。母親の状態を良くしておくことは重要なのですね。

以下は、『「学力」の経済学』に書いてあることではなく、そこから連想して当ブログ管理人が考えたことです(より正確に考えるには、『「学力」の経済学』が依拠している文献の原文に当たりたいところです。将来、時間が取れたら原文に当たって、本エントリーを加筆するかもしれません)。

人的資本投資の収益率が最も高いのは、生まれる前(=母親の健康や栄養などに対しての支出)とのことですが、母親の健康には、精神面の健康も含まれるのではないでしょうか。だとすると、「結婚をしたが、元々は赤の他人だった二人が一つ屋根の下で暮らし始めたためだろうか、衝突が多く、妻のメンタルの調子が悪い」のような状態(そのような状態があったとして(※))のときではなく、「しばらく経って、結婚生活が軌道に乗って夫婦関係が良くなった」状況(そのような状況をつくり出すことができたとして)のときに子づくりをするべき、となるように思います。

夫婦関係が混乱していて、妻の精神状態も悪いときにわざわざ子どもをつくるよりも、そうでない、良い状況のときに子どもをつくるべき、とも言い換えられると思います。そりゃそうだろうなということで、直感的には妥当なように思います(※※)。

※可能性低いんじゃない?新婚のときはラブラブでしたよ。と思った人は、ラッキーな人かもしれません。HolmesとRaheによる「社会的再適応評価尺度」によると、「配偶者の死」や「離婚」などと並んで、「結婚」もストレッサーの上位に並んでいます。

※※補足。本エントリーは、『「学力」の経済学』にヒントを得て、人的資本投資の収益率という観点から子づくりのタイミングを考えると、上のようにいえるのでは?というものです。別の見方ももちろんあると思います。

  • 子どもを持ったら、以前は悪かった夫婦関係が良くなり、夫や妻の健康状態(精神状態も含む)も良くなった。
  • 子どもを持ったら、以前は良かった夫婦関係が悪化してしまい、夫や妻の健康状態(同上)も悪くなってしまった。
  • 子どもを持っても、夫婦関係や夫婦の健康状態は特に変わらない(「子どもを持てば変わってくれるかもしれない」と思っていたが、夫(または妻)は変わらなかった。夫婦関係も悪いまま、みたいなケースも含む)。

など、本エントリーで書いたこととは別の視点で、例えば夫婦関係という観点から考えると、子どもを持つことと夫婦の関係との関連は、ケースバイケースなのだろうなと予想します(不勉強で、具体的には存じていませんが、こういうことを検討した研究もあるかもしれません)。

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偏差値で輪切りにすることは悪か?

ベストセラーになった『「学力」の経済学』(中室牧子.Kindle版,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015年,位置No. 599-697)は、「「友だち」が与える影響」というセクションで、教育経済学の知見を次のとおり紹介しています(なお、ほかのエントリーもそうですが、以下、本エントリーを書くために必要な箇所だけを参照したり、引用したりしています。同書は名著ですので、関心のある方は全体をぜひ通読ください)。

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  • 学力の高い友達の中にいると、自分の学力にもプラスの影響がある。
  • しかし実は、学力の高い優秀な友人から影響を受けるのは、そのクラスでもともと学力の高かった子どものみ。
  • それどころか、自分のクラスに学力の高い優秀な友人がやってきた場合、もともと学力が低かった子どもには、マイナスの影響があることを示す研究もある(自信を喪失するため)。レベルの高すぎるグループに子どもを無理に入れることは、逆効果になる可能性すらある。
  • 習熟度別学級は、ピア・エフェクト(友人や周囲から受ける影響)の正の効果を高め、特定の学力層の子どもたちだけではなく、全体の学力を押し上げるのに有効な政策である。なお習熟度別学級は、マサチューセッツ工科大学の貧困アクションラボの研究成果をもとに、学力向上を目標とした複数の教育政策の費用対効果を算出した図(Kindle版,位置No.1038)において上位に位置している。すなわち、主に途上国での研究結果だが、子ども手当や少人数学級などより、習熟度別学級の方が、学力を向上させる費用対効果が高いことが示されている。

ほかにも、習熟度別学級はすべての学力層の子どもの学力を上げるが、特に大きな学力上昇が見られたのは、もともとの学力が低い子どもたちだったことや、習熟度別学級が子どもたちの学力を上げるのは、子ども同士が、他者と比較して意欲を失うことがないことや、教員が、子どもたちの理解度やペースに合わせた指導が可能になるためであろうことなどを紹介・指摘しています。

上の考え方で行くと(考え方というか、以上は、データに基づいており、客観性があります)、偏差値で受験生を「輪切り」にし、結果的に、入学する高校や大学が学力層ごとに決まるようにする(習熟度別学級と同様の状態を学校単位でつくり出す)ことは、子どもたちの学力を上げるという観点からは、妥当性があるように思われます(こう書くと、条件反射的な、またはヒステリックな反対意見が出るかもしれませんが、上の研究結果に基づけば、上のように思われます。「習熟度別学級」と「それと同様の状態を学校単位でつくり出す」なので、完全に同一ではありませんが)。

上記は、個人的な経験とも合致します。当ブログ管理人は、現在は都市部の4年制大学で教員をしていますが、以前は、地方の短期大学で教えていました。都会に比べて地方は大学・短大の選択肢が少ないということもあるでしょうが、その地方には国立大学もあります。あえて短大を選ぶ高校生たちには学力的な事情もありました(率直に言うと学力は高くはありませんでした)。

でも、その短大で素晴らしい技能を見事に身につけ、卒業・就職していく学生たちをたくさん見てきました。学級崩壊のような状態になってしまっている高校や大学などでないかぎり、何もトップ校でなくても、どの学校でも、本人の学力に見合った環境で能力を伸ばすことができると、個人的にも思います。

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なお、『「学力」の経済学』は、次のようにも述べています(Kindle版,位置No. 689)。

しかし、習熟度別学級の導入を考えるうえでは、注意が必要なこともあります。国単位のデータを用いたスタンフォード大学のハヌシェク教授の研究では、子どもの学齢が低い時に習熟度別学級を実施すると、格差が拡大し、平均的な学力も下がってしまうと指摘されています。

あくまで上の研究に基づけばですが、低い学齢のときから英才教育をわが子に施すよりも、種々雑多な集団にその時期は身を置かせ(例えば、どこにでもある、至って普通の公立小学校などでしょうか)、ある程度の時期になってから英才教育を施す方が、結果的に優秀な子に育つ可能性が高い、かもしれません。

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ゲームは1日何時間まで?勉強やゲームに青春をかけたら駄目か?両立は可能か?

ベストセラーになった『「学力」の経済学』(中室牧子.Kindle版,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015年,位置No. 492-559)は、「テレビやゲームは子どもに悪影響を及ぼすのか」というセクションで、著者の研究成果を次のとおり紹介しています。

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どれくらいのテレビ視聴やゲーム使用だったら無害なのでしょうか。私たちの推計によると、1日に1時間程度のテレビ視聴やゲーム使用が子どもの発達に与える影響は、まったくテレビを観ない・ゲームをしないのと変わらないことが示されています。一方、1日2時間を超えると、 子どもの発達や学習時間への負の影響が飛躍的に大きくなることも明らかになっています。

子どもが、1日1時間 程度、テレビを観たりゲームをしたりすることで息抜きをすることに罪悪感を持つ必要はありません。

この結果になるのは当たり前かな、と感じます(もちろん、当たり前だろうと経験的に思われることを、研究によって実証することには意義があると思います)。小学生の頃はゲームが大好きでしたが、1日1時間程度ではライバルの同級生に到底太刀打ちできません。子どもたちの間で尊敬されるほど上達するには、1日何時間もプレイせねばなりませんでした。1日何時間も(上の研究では2時間超)ゲームをしていれば、学習時間が減るのは当然かなと思います。上の「子どもの発達[中略]への負の影響」とは、例えば近視になってしまう、のようなことを指しているのでしょうか。今後、時間があれば、上の研究の原文を見てみたいと思います。

上の引用箇所と似たようなことは、テレビやゲーム、勉強以外のことにも当てはまるかもしれません。例えば、スポーツや習い事を1日にごく短時間するだけでは、まったくしないのと変わらないかもしれません(勉強に悪影響を与えない代わりに、上達もしないかもしれません)。一方、スポーツや習い事を毎日長時間行うと、上達はするけれども、テレビやゲームの場合と同様に、学習時間への負の影響が出てくるかも傾向があるしれません(不勉強で、具体的には存じていませんが、こういうことを実証した研究もあるかもしれません)。

ひょっとしたら、勉強も、やり過ぎると負の影響が出てくるかもしれません。『「学力」の経済学』(Kindle版,位置No. 821-978)では、「〝勉強〞は本当にそんなに大切なのか? 人生の成功に重要な非認知能力」という章を設け、「非認知スキル」または「非認知能力」と呼ばれるものの重要性を力説しています。それは、「IQや学力テストで計測される認知能力とは違い、「忍耐力がある」とか、「社会性がある」とか、「意欲的である」といった、人間の気質や性格的な特徴のようなもの」であり、「将来の年収、学歴や就業形態などの労働市場における成果にも大きく影響することが明らかになってきた」(位置No. 841,849)としています。著者によれば、人生の成功のために特に重要な非認知能力は「自制心」と「やり抜く力」であり、それらは教育やトレーニングによって鍛えて伸ばせるものです。「最近では、非認知能力を鍛える手段として、部活動や課外活動にも注目が集まっています。他にも、[中略]教室で学んだことを地域社会で問題解決のために生かすような教育や、アウトドア活動なども有効」であるとしたうえで、「目の前の定期試験で数点を上げるために、部活や生徒会、社会貢献活動をやめさせたりすることには慎重であるべき」と述べています(位置No. 971)。『「学力」の経済学』に沿って考えれば、勉強(ここでいう勉強とは、IQや学力テストで計測される能力である、認知能力を上げるための勉強)をし過ぎて非認知能力がおろそかになるとよくない、ということになります。

本エントリーの結びとして、個人的な意見と問いを一つずつ。

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1.テレビやゲームの時間が一定以上になると健康や勉強に悪影響を及ぼすことは、上の引用箇所のとおり、データがあります(※)。でも、ゲームであれ、スポーツであれ、勉強であれ、高い目標を達成するためには(例えば「志望校に絶対合格したい」「大会で必ず勝ちたい」「このゲームを窮めたい」などなど)、ほかのことに多少支障が出ても、それに没頭することが必要な時期が、人生のどこかであると思います。陳腐ですが、個人的な意見です。もちろん、子どもにそれを無理強いしたり、回復できないほどの被害が出てしまってはいけないと思います。

※なお、『「学力」の経済学』は、「テレビやゲーム「そのもの」が子どもたちにもたらす負の因果効果は私たちが考えているほどには大きくない」(Kindle版,位置No. 517)、「ゲームの中で暴力的な行為が行われていたとしても、それを学校や隣近所でやってやろうと考えれるほど、子どもは愚かではない」(同,位置No. 526)という研究結果も紹介しています。あくまで、1日に費やす時間が一定以上になると健康や勉強に悪影響を及ぼすと指摘しているのみです。

2.本エントリーでここまで書いてきたことは、「ゲームか?勉強か?」のような、二者択一的な内容です。一方、「ゲームも、勉強も、両方好成績を収めるための時間配分や方法について、ある程度普遍的なデータは得られないだろうか?」と問うてもよいのではないでしょうか。「ゲームも、勉強も」の箇所は、「勉強も、スポーツも」でも、「スポーツも、ゲームも」でも、どの組み合わせでもよいです。「勉強も、スポーツも、ゲームも」もありうるかもしれませんが、欲張らずにまずは、2つのことの両立について提起してみます。

当ブログ管理人は、普通の公立中学校を出た後、学区で一番の進学校に入学しました。そこで驚いたことの一つは、「特に厳しめの運動部で1年生からレギュラーになり(しかも、3年生の春で引退せず、3年生の秋の大会まで続けたりする)、その後、東大や医学部に合格」のようなことを成し遂げる人が一学年に何人もいることでした。そもそも才能に恵まれている人が世の中にいることは事実だと思いますが、こうした経験から、上の問いを提起しておきます。「2つのことを両立させるための時間配分や方法についての、ある程度普遍的なデータ」がもしあれば、大人になってからも、例えば「家庭と仕事の両立」などに応用できるかもしれません。

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東大生の親は高収入か?

しばらく、育児・子育て、その他教育関連のことを書いてみたいと思います。

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ベストセラーになった『「学力」の経済学』(中室牧子.Kindle版,ディスカヴァー・トゥエンティワン,2015年,位置No. 138-141)は、「東大生の親の平均年収は約「1000万円」」という見出しで、次のとおり述べています。

「学生生活実態調査」(2012年)によると、東京大学では、親世帯の平均年収は約1000万円となっており、世帯収入が950万円以上の学生の割合がなんと約57%を占めています。

「民間給与実態調査」(2012年)における給与所得者1人あたりの平均年収が408万円、「家計調査」の2人以上勤労者世帯の平均年収が623万円[中略]ですから、東大生の親の所得がいかに突出して高いか、おわかりいただけるでしょう。

『「学力」の経済学』は2015年発行ですので、上の各調査も2012年と、今ではやや古いです。ですが、より新しい『2018年(第68回)学生生活実態調査報告書』(東京大学学生委員会学生生活調査WG)でも、世帯の年収分布額は大差ありません。世帯の年収が950万円以上の学生の割合が約60%を占めており、平均値、中央値ともに約1000万円です(図24(p.41),資料1の質問34,35,資料2の5-4-1表)。

上の数字を見ると、東大生の親はたしかに高収入なように思えます。そういうイメージが世間一般にも浸透しているような気もします(例えば、上の引用箇所と似たようなネット記事をたまに見るような気もします)。ですが、よく考えてみると、必ずしもそうではないかもしれません。すなわち以下のごとくです。

東大の学部学生には1年生から4年生(学部によっては6年生)までいます。現役で合格した人も、浪人して合格した人もいます。留年中の人も中にはいるでしょう。ひとまず、平均年齢を21歳と仮定してみます。

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すると、上の『2018年(第68回)学生生活実態調査報告書』は2018年11~12月に調査を実施したと書いてるので(p.1)、平均すると1997年生まれの東大生を対象にした調査だったといえます。

1997(平成9)年の人口動態調査によれば、当時、父親になった人の平均年齢は31.7歳、母親になった人の平均年齢は29.3歳でした(表4.19,表4.20)。東大生のお父さんお母さんも同様であると仮定します(実際には、東大生のお父さんお母さんには大卒や大学院卒が多く、就職する年齢が平均より高いなどのため、親になる年齢も平均より高いかもしれませんが、ここでは上のとおり仮定します)。

ということは、2018年時点で、東大生のお父さんの平均年齢は52.7歳、お母さんは50.3歳です。「給与所得者1人あたりの平均年収が408万円」などの上の数字は、例えば20歳代の給与所得者なども含めた、平均です。同じ年齢の人たちの平均年収と比較しなければ、東大生の親は高収入であるとはいえません。

また、東大には全国の天才・秀才が集結するようなイメージがあるかもしれませんが、実は、上の『2018年(第68回)学生生活実態調査報告書』によると、東大生の実家の所在地は東京都が35.2%であり、東京都以外の「関東」が34.5%です(図21(p.39),資料1の質問32,資料2の5-1表)。つまり約70%が関東出身です。関東の出身者が多い理由は、地方の場合、東大でなくその地方の大学の医学部などをめざす高校生もいる、勉強ばかりするのを潔しとせず、部活や学校行事などに積極的に取り組むことをよしとする校風の進学校もある、「何となくおっかない」のように感じて東京に出たがらない高校生もいる(本人も親も無理をしない・させない)、関東に比べて地方(例えば北海道や東北地方など)は高校生の数がそもそも少ない、などがありうると思います(個人的な予想です。厳密に調べたわけではありません)。

話が少しそれました。何を言いたいかというと、企業の本社が首都圏に集まっているなどするので、関東地方の勤労者の平均年収は、その他の地方よりもそもそも高そうです。実際、2018年の『家計調査』では、「二人以上の世帯のうち勤労者世帯」の平均年収が約670万円であるのに対し(第1-2表)、関東地方では約723万円、「東京都区部」に限ると約786万円です(第2表)。関東地方は全体平均の約1.08倍、「東京都区部」は約1.17倍です(1)。

また、上の「平均年収が約670万円」は、世帯主が若い世帯も含めた、全体の平均です。世帯主の年齢階級別に見ると、東大生のお父さんお母さんが当てはまる、50~59歳の階級の年収は約772万円です(第4表)。全体平均の約1.15倍に当たります(2)。

上の(1)と(2)をごく単純に組み合わせると、東大生の実家所在地の約70%を占める関東地方で、世帯主が50~59歳の階級の年収は、約670万円(全体平均)×1.08×1.15=約832万円になります。「東京都区部」で計算すると約901万円です。

日本全国の大学図書館の蔵書を検索できるCiNiiや、国立国会図書館の蔵書を検索できる国立国会図書館オンラインによると、学生生活実態調査はほかの複数の大学で実施されています。東大生の親の年収をそれらと比較すると、何か見えてくるかもしれません。

ほかにも、「政府における教育政策の実施にかかる資料として分析するほか、新聞、進学雑誌等で掲載され、大学進学を目指す方に、[大学で必要な費用の目安]として参考とされています」とうたう調査に、日本学生支援機構の『学生生活調査』があります。その平成30年度版では、「学生の家庭の年間平均収入額」は大学(昼間部)で862万円となっています(p.10)。これは全国の平均ですので、上の(1)を単純に当てはめると、大学生の親の年収は、関東地方なら全体平均の約931万円、「東京都区部」なら約1009万円という計算になります。

以上はごく単純な試算であって、ほかの要因もあるでしょうから、実態を正確に表してはいないかもしれません。ですが少なくとも、『「学力」の経済学』が強調するほどには、東大生の親の年収が突出して高いとはいえないように思います(ただし、ごく単純な上の計算によれば、東大生の親の年収は、「関東地方や東京都区部に住む、同じ年齢層」の平均より高そうです。また、地域性を計算に入れると、東大生の親の年収は、ほかの大学生の親の年収と大差ないことになります)(※)。

なお、上の『2018年(第68回)学生生活実態調査報告書』によると、世帯の年収が1550万円以上の東大生が16.1%に上ります(図24(p.41),資料2の5-4-1表)。世間一般にはほとんどいないほどの高収入だなと一瞬思えますが、考えてみると、「両親がどちらも公務員や教員で、共働き」のような家庭で、かつ、上記のとおり、お父さんが52.7歳、お母さんが50.3歳、東京都やそれ以外の関東在住の場合(公務員は、民間賃金の高い地域に勤務する場合、地域手当が支給されます)、子どもが東大生であろうとなかろうと、世帯収入が1550万円あってもおかしくはありません。

一方で、13.2%の東大生は、世帯の年収が450万円未満です(図24(p.41),資料2の5-4-1表)。

本エントリーの結びとしては、次のようにいえます。『「学力」の経済学』が強調していたり、ひょっとすると世間一般でイメージされているほどには、東大生の親の年収が突出して高いとはいえないように思えます。むしろ、(ごく単純な計算ですが)地域性を計算に入れると、東大生の親の年収は、ほかの大学生の親の年収と大差ないことになります。ただし、東大生の親の年収は、「関東地方や東京都区部に住む、同じ年齢層」の平均よりおそらく高いです。また、親の年収が高くないだけで、即、子どもを東大に入れることができないとはならないように思えます(※)。

※補足を一つ。上の『学生生活調査』で、「学生の家庭の年間平均収入額」は大学(昼間部)で862万円となっていることを紹介しました。ですが同調査は、各地方からどの割合で調査対象の学生を抽出したか、書いていません。『学校基本調査』によると、大学生は関東、特に東京に多く集まっています(高等教育機関《報告書掲載集計》7 都道府県別学校数及び学生数)。そのため、ひょっとすると、上の『学生生活調査』の回答者には関東の大学生が多いかもしれません。「関東の大学生だが、実家の所在地はほかの地方である」という場合もありますのでややこしいところですが、もし、「実家の所在地が関東である」という回答者が多い場合、上の「東大生の親の年収は、ほかの大学生の親の年収と大差ない」は、言い過ぎていることになります。

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